沿革 病院について
慶応・明治
1867年(慶応3年)
黒田藩の藩校として西洋医学の医育機関「賛生館」を現在の福岡市中央区大名に設置。1874年(明治7年)12月
賛生館の附属病院を新たに診療所として修猷館内に開設。1877年(明治10年)6月
診療所を「福岡病院」と改称すると同時に博多中之島元製練所跡に移転。1879年(明治12年)3月
福岡病院は県に移管され県立福岡医学校附属病院と改称。1888年(明治21年)4月
県立福岡医学校の廃止により同附属病院は県立福岡病院と改称。1903年(明治36年)3月
京都帝国大学福岡医科大学が設置され、県立福岡病院は京都帝国大学福岡医科大学附属医院となる。1911年(明治44年)4月
九州帝国大学医科大学附属医院と改称。賛生館の蔵書印(福岡市博物館所蔵)
恩師デーニッツと大森治豊ら福岡医学校の教師たち
九州帝国大学医科大学最初の卒業生
大正
1919年(大正 8年)4月
九州帝国大学医学部附属医院と改称。1924年(大正13年)4月
生の松原分院設置。診療開始。昭和
1931年(昭和6年)10月
温泉治療学研究所設置。1947年(昭和22年)10月
九州大学医学部附属医院と改称。1949年(昭和24年)5月
九州大学医学部附属病院と改称。1957年(昭和32年)
1月中央臨床検査部設置。1959年(昭和34年)
4月事務部に事務部長制導入。管理課、業務課設置。
1962年(昭和37年)3月
1962年(昭和37年)4月
薬局を薬剤部と改称。1963年(昭和38年)4月
麻酔科、心療内科、中央手術部設置。1964年(昭和39年)4月
神経内科設置。1965年(昭和40年)4月
循環器内科設置、中央臨床検査部は中央検査部と改称。
1966年(昭和41年)4月
1967年(昭和42年)6月
1968年(昭和43年)4月
1969年(昭和44年)4月
集中治療部設置。
1970年(昭和45年)4月
1971年(昭和46年)4月
1973年(昭和48年)4月
1973年(昭和48年)8月
1974年(昭和49年)4月
病理部設置。胸部疾患研究施設内科を呼吸器科と改称。1975年(昭和50年)2月
中央検査部、中央手術部、中央放射線部、中央材料部を検査部、手術部、放射線部、材料部と改称。1975年(昭和50年)10月
輸血部設置。1976年(昭和51年)5月
国立学校設置法改正により、看護部を設置。1976年(昭和51年)10月
小児外科設置。(歯病)歯科放射線科設置。1977年(昭和52年)10月
救急部設置。(歯病)第一口腔外科、第二口腔外科設置。1978年(昭和53年)10月
分娩部設置。(歯病)小児歯科設置。1979年(昭和54年)10月
冠動脈疾患治療部設置。1981年(昭和56年)4月
理学療法部設置。1982年(昭和57年)4月
医療情報部設置。1983年(昭和58年)4月
腎疾患治療部設置。1984年(昭和59年)4月
腫瘍センター設置。1987年(昭和62年)5月
総合診療部設置。1988年(昭和63年)4月
(歯病)歯科麻酔科設置。医学部創立25周年を記念して建造された医学部正門(昭和3年竣工)
温泉治療学研究所本館(右)と九軌病棟(昭和9年)
昭和11年当時の病院
原爆被害者調査団と 九大原爆医療調査団代表(昭和22年)
附属図書館医学分館 右端の木はヒポクラテスの木 (昭和56年竣工)
生体防御医学研究所附属病院
平成
1989年(平成元年)5月
麻酔科を麻酔科蘇生科と改称。1990年(平成2年)6月
(研病)皮膚泌尿器科を体質代謝内科に変更。1991年(平成3年)4月
理学療法部を廃止し、リハビリテーション部設置。1992年(平成4年)4月
(研病)内科をリウマチ膠原病内科に、外科を腫瘍外科に、産婦人科を生殖内分泌婦人科に、温泉地生気候内科を気候内科に変更。1993年(平成5年)4月
(歯病)特殊歯科総合治療部設置。1995年(平成7年)4月
特定機能病院として承認。1998年(平成10年)1月
医療器材サプライセンター設置。1999年(平成11年)4月
光学医療診療部設置。治験管理センター設置(院内措置)。2001年(平成13年)10月
南棟竣工。2002年(平成14年)4月
南棟開院。2002年(平成14年)10月
臨床教育研修センター設置(院内措置)。2003年(平成15年)4月
輸血部を改組し、遺伝子・細胞治療部を設置。
2003年(平成15年)5月
2003年(平成15年)10月
医学部附属病院、歯学部附属病院、生体防御医学研究所附属病院を統合。2004年(平成16年)4月
国立学校設置法が廃止され、国立大学法人法に基づき国立大学法人九州大学を設置。2005年(平成17年)1月
内視鏡外科手術トレーニングセンター設置(院内措置)。2005年(平成17年)5月
材料部を廃止し、医療器材サプライセンターを設置。2005年(平成17年)6月
(別府地区)産婦人科専門診療科の診療を休止。2005年(平成17年)10月
北棟竣工。医学部創立75周年記念庭園から新病棟(南棟[左]、北棟[右])を臨む
北棟屋上に設置したヘリポート
2006年(平成18年)4月
北棟開院。2006年(平成18年)8月
救急部を廃止し、救命救急センターを設置。2006年(平成18年)9月
先進予防医療センターを設置。2007年(平成19年)4月
7対1看護体制導入。2008年(平成20年)3月
ウエストウイング竣工。2008年(平成20年)4月
油症ダイオキシン研究診療センターを設置。2008年(平成20年)7月
ヘリポートを開港。2008年(平成20年)10月
アジア遠隔医療開発センターを設置。2009年(平成21年)1月
「総合診療部」を「総合診療科」に改称。2009年(平成21年)2月
(別府地区)放射線科を設置。2009年(平成21年)4月
外来診療棟竣工。2009年(平成21年)5月
子どものこころの診療部を設置。2009年(平成21年)9月
外来診療棟開院。2010年(平成22年)1月
第一外科を消化管外科(1)、胆道・膵臓・膵臓移植・腎臓移植外科、呼吸器外科(1)、乳腺外科(1)及び内分泌外科に、第二外科を消化管外科(2)、肝臓・脾臓・門脈・肝臓移植外科、呼吸器外科(2)、乳腺外科(2)及び血管外科に、心臓外科を心臓血管外科に、泌尿器科を泌尿器・前立腺・腎臓・副腎外科に、また耳鼻咽喉科を耳鼻咽喉・頭頸部外科に再編。2011年(平成23年)4月
別府地区の別府先進医療センターは、組織再編に伴い九州大学病院の分院(九州大学病院別府病院)として開院。2011年(平成23年)6月
「地域医療連携センター」を「医療連携センター」に改称。2011年(平成23年)11月
「感染制御部」を「グローバル感染症センター」に改称。2012年(平成24年)1月
(別府地区)麻酔科を設置。2012年(平成24年)5月
「高度先端医療センター」を「ARO次世代医療センター」に改称。2013年(平成25年)4月
「小児歯科」を「小児歯科・スペシャルニーズ歯科」に改称。2013年(平成25年)5月
小児救命救急センターを設置。2013年(平成25年)9月
先進予防医療センターを廃止。2013年(平成25年)11月
「病理部」を「病理診断科・病理部」に改称。2014年(平成26年)2月
デンタル・マキシロフェイシャルセンターを設置。2014年(平成26年)4月
周術期支援センターを設置。2014年(平成26年)8月
「小児外科、小腸移植外科」を「小児外科、成育外科、小腸移植外科」に改称。2015年(平成27年)1月
臨床教授等病院として指定。2015年(平成27年)4月
国際医療部を設置。内部組織として、海外交流センターを新設、アジア遠隔医療開発センターを編入、医療連携センター国際医療連携室を国際診療支援センターとして改編、編入。2016年(平成28年)1月
臨床研究中核病院として承認。2016年(平成28年)4月
リハビリテーション科を設置。2016年(平成28年)11月
看護キャリアセンターを設置。2016年(平成28年)12月
血液・腫瘍内科を血液・腫瘍・心血管内科に改称。2017年(平成29年)3月
外国人患者受入医療機関認証制度(JMIP)により認証。2017年(平成29年)4月
臨床研究推進部門を九州大学病院ARO次世代医療センターに改組。2017年(平成29年)6月
ECMOセンターを設置。2017年(平成29年)8月
造血幹細胞移植地域支援センターを設置。2017年(平成29年)12月
別府病院リハビリテーション科を設置。2018年(平成30年)1月
別府病院整形外科を「整形外科(脊椎脊髄)」に改称。2018年(平成30年)2月
がんゲノム医療中核拠点病院として指定。2018年(平成30年)4月
医療安全管理部を中央診療施設に改組。令和
2019年(令和元年)12月
福岡県難病診療連携拠点病院として指定。